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~モーリー・ロバートソンさん その人生と創造力Vol.2~
~モーリー・ロバートソンさん その人生と創造力Vol.2~
モーリー・ロバートソンさん
N Yに生まれ、幼稚園まではサンフラシスコで育ち、のちに広島へ。東大、ハーバード大学を経て、現在は国際ジャーナリスト、コメンテーター、DJ、ミュージシャンと様々な分野で活躍。著書に「よくひとりぼっちだった」(文芸春秋)、『ハーバードマン』(文藝春秋)、『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)、『悪くあれ!窒息ニッポン、自由に生きる思考法』(スモール出版)など。
児玉 もちろん不良のつもりではなかったんですよね?
モーリー 全く。どこが不良なの?っていう感じで。アメリカで売ってるハンバーグやホットドッグと同じ位、平均値のつもりで。でも誤解に誤解が生んで雪だるま式に話が大きくなって、私はとんでもない不良だっていうレッテルを貼られて、最後は自主退学を促されるという。
児玉 まさに波乱万丈ですね…。
モーリー アメリカはまだ環境が改善されていなかったから、今度は母親の出身地に近い北陸の方の高岡市っていう町の学校に編入することに。さらに田舎の学校だったから、もう大騒ぎですよね。大変なやつが来ると。
児玉 ペリー来航(笑)。
モーリー まさに(笑)。とにかく学校の中では勉強以外なにもやらせまいと監視されてましたねー。だからとりあえず学校では完全におとなしくして、離れた富山市のライブハウスで自分の学校の人じゃない、隣の高校の人とバンド組んで遊んだりしてました。で、学校内で私は何をしたかっていうと、点数を上げることに注力したわけです。
加藤 テストのってことですか?
モーリー 偏差値。テストの。急に「わかりました今日から心を入れ替えました」って言って。まあ英語はネイティブだったので問題なし。余った時間を他の同級生が脇が甘い所に集中させたんです。そしたらその作戦が成功して急激に順位が上がったんですよ。
加藤 脇が甘いところに集中?
モーリー 例えば物理のテストがあるじゃないですか。その中のいわゆるボスキャラの問題はほぼ誰も解けない問題なんですよ。ということはですよ、どんなに頑張っても解けない問題を解こうと努力して時間を割くくらいなら、そこは捨てて、固められる脇を固めたほうがいいと思ったわけです。そこで10点上げることを捨てる代わりに、他のテストで合計20点上げることに努めた。そうすると急激に順位が上がるんですよ。で偏差値もガーンと上がる。ついに東大に入る人達の圏内に入っちゃったので、学校としては心を入れ替えてやってるんだと思って褒められ始めたと。その裏では、他校の生徒とバンド組んで遊んでましたけど(笑)。
児玉 それで結局東大に受かった。
モーリー はい、現役で。でもそこには二重の屈折があるから成し遂げられたんじゃないかな。つまり『こんなの勉強じゃない』っていうのと『不良扱いを逆転させるための手段』っていう2つのひねりというか。「東大に入るつもりなんかないんだよ。ペッ」てやるつもりだったから(笑)。
児玉 とにかく文化の違いで揺さぶられた中で、自分を調整=クォンタイズしていったと。
モーリー そうですね。話し合っても無駄なんだっていうことがわかっちゃったんで、じゃあもう相手が見たいものを見せて自分のスペースを確保れば良いんだっていう感じでした。ある意味、仕組みみたいなものを信用してなかったんですよね。「東大入って頭良いわけないじゃん。こんなのただ要領が良く偏った知識の持ち主だけじゃん」って。これはあくまで当時の感想ですけど、実際入学してみて思ったのは、やっぱりその通りだった。要領良く薄い感じの人達が多かったんです。だからざまみろって思ったし、ちょっと舐めた雰囲気を出していたかもしれません。そうやって自己肯定をしていたんだと思います。
加藤 文化の差において最もフラストレーションを感じたことはなんですか?
モーリー 要するに人って、自分の日常にないものを理解することが難しいんですよね。アメリカに行ってアメリカの価値観以外の話をしてもやっぱ無理だし、その逆も同じ。どっちが良い悪いじゃないんです。どっちにも良いところがあるし、どっちも大きな問題を抱えている。まさしく一長一短なんです。
児玉 アメリカは自己責任という考え方が強い代わりに、学習レベルや医療保険のレベル、貧富の差が激しいという印象があります。日本は平均的に豊かで、それはそれで恵まれていますもんね。
モーリー アメリカの教育が進んでいるみたいな言い方になってしまいましたけど、その反面全く教育を受けられれずに育つ人も多い。ちょっと気の毒なほどに。社会に進出したり上昇する機会が最初から不均一。そういう面もあります。
ハーバード大学の洗礼
加藤 そして、その後モーリーさんはハーバード大学に編入しますよね。
モーリー そうですね。そこでもまた文化の違いを痛感しました。東大に入ったドヤなんて全然アメリカじゃ通用しない。それがつらくて、クラスメイトはアメリカ横断とかしている中、私は大学の寮と実家の間を行ったり来たりするだけ。ある意味引きこもってました。とにかく新たに入ってくる経験や情報が多過ぎて、むしろ情報をシャットダウンしていました。
加藤 その時学ぶことでいっぱいいっぱいで?
モーリー 勉強の量も尋常じゃなかったし、文化の違いも大変だった。
児玉 さすがのモーリーさんにも余裕がなかったんですね。
モーリー そうですね。面白がる余裕などなかった。クラスメイト同士で政治の話なんかを結構盛んにするんですよね。今中東で何が起きてるかとかそんなことを。でも僕は自分のことでいっぱいだったから、意見を聞かれても「俺どっちでもないからいいよ」って感じで棄権しちゃうんです。「そろそろ別の話しない?」みたいな。そうすると社会性がないとか子供だなみたいに言われて、話がついていけない人になっていきましたね。
児玉 東大では攻略法を見つけてましたが…。
モーリー ハーバードにはなかった。シンプルに努力するしかなかったですね。
児玉 いち視聴者としてモーリーさんをみるたびに、「この人は頭の出来が違うんだ」って思っていました。天才的なんだと。
モーリー そんなことはないと思います。私と同じ“しごき”を受けたら、かなり多くの人が同じようになると思いますよ。強制的に鍛えられた結果、もう逃げ場がなくなって底力が出てきたのかな。そうやって追い詰めるんですよ、ハーバードは特に。世界でもあんまりそれをやる学校はないんじゃないかな。
~モーリー・ロバートソンさん その人生と創造力Vol.3へ続く~