OUR PAST

and

OUR FUTURE

PELLE MORBIDA
10th ANNIVERSARY
SPECIAL ISSUE

PELLE MORBIDAの
軌跡と展望

Updated 2023.03.31

ファッションの輸入商社だったウエニ貿易の、オリジナルブランドとしてスタートしたぺッレ モルビダ。どのようにして誕生したのか?ブレイクしたきっかけは何か?創設から現在までを知る笹原、干場、石井の3者が対談。時代の変化に合わせて、しなやかにものづくりしてきたぺッレ モルビダのスタイルにこそ、これから10年の命運があるようです。

Interlocutors

干場 義雅

フォルツァスタイル編集長&
ファッションディレクター

YOSHIMASA HOSHIBA

雑誌「LEON」や「OCEANS」の立ち上げをはじめ、数々の人気雑誌に携わり、2010年に独立し株式会社スタイルクリニックの代表に。講談社のウェブマガジン「FORZA STYLE」編集長であり、ファッションディレクターとしてもテレビ、YouTube番組の司会者、ブランドプロデュースなど活躍は多岐に及ぶ。自身が好きなものを集めたオンラインセレクトショップ「minimal wardrobe」も主催。

石井 洋

LEON編集長

HIROSHI ISHII

フリーランスのエディター・ライターとして、モード誌からストリートファッション誌まで様々な媒体で活躍。2002年から「LEON」に参画し、ファッション特集をメインに担当。2004年に異動して「LEON」の女性版「NIKITA」の創刊に携わり、後に編集長代理を務めた経歴も。2017年に「LEON」の編集長に就任し、2018年からは「LEON.JP」の編集長を兼任。

笹原 総一郎

ペッレ モルビダ 常務執行役員

SOICHIRO SASAHARA

1993年にウエニ貿易にキャリア入社。営業職を経て、2011年に統括としてぺッレ モルビダを立ち上げる。「イタリア製のバッグのようなルックスでメイド・イン・ジャパン」というコンセプトを貫いてブランドを牽引。“ラグジュアリーな大人のバッグブランド”としての地位を築き、イメージの定着にも成功。2021年からFashion&Lifestyle事業部の常務執行役員に就任。

OUR PAST and OUR FUTURE.

船旅が象徴する
「ラグジュアリーで上質」なバッグ

石井:改めてぺッレ モルビダ、10周年、おめでとうございます。

笹原:ありがとうございます。おかげ様で、ジローラモさんとのコラボも好評です。

石井:ぺッレ モルビダはスタートの頃からタイアップでごいっしょさせていただきました。編集者の先輩でもある干場さんがディレクターとして関わっていたことももちろん、知っていますが、もともとは笹原さんが社内で旗を振ったんですよね?

笹原:ええ。ウエニ貿易は海外から商品を輸入してマーケットに納品する商社ですが、時代の流れを鑑みて、会社の核になるようなビジネスが構築できないかと模索していた時期でした。そんなときに「自分たちが持ちたいバッグって、意外とないよね」という話題が出て、本当にその通りだと思ったので「じゃあ、自分がやりますよ」と。社内でオリジナルブランドをつくっていくことになったんです。

石井:干場さんをディレクターに迎えたのは、どうしてですか?

笹原:スーツに似合うしっかりとしたドレス向きのバッグをつくりたかったので、きちんとプロデューサーを立てないと成功しないだろうと思っていました。そしたら灯台下暗しで、社内に干場さんの友人がいて。ちょうど独立した時期と、タイミングもよかった。

干場:自分の会社をつくって、いろんなことをやっていこうというときだったので「乗りますよ」と。そこからぺッレ モルビダが生まれるまで、1年はミーティングを重ねましたね。何もない状態からつくったので、ブランド名やコンセプト、どんな人が持つのか、大きさやバッグの種類、色は何色がいいか。作戦会議を同じメンバーで、週一ペースでやっていました。すごく面白くて、とてもいい経験になりました。

笹原:本当にゼロベースだったんで。

石井:コンセプトやブランド名はどういう流れで決まったんですか?

干場:ちょうど僕が船旅を経験してめちゃくちゃ感動した直後だったので、その世界観をコンセプトにすれば「ラグジュアリーで上質」ということが伝わるんじゃないかと。笹原さんにプレゼンしたら「じゃあ、それで行きましょう」と。そこからイメージを膨らませて、名前やディテールが決まって、具体的に進んでいきました。

石井:それで船底のデザインや、ホイッスルを付けるというアイデアが生まれたんですね。

笹原:ギミックも含めて、今も毎年クルーズにまつわるコレクションをつくっています。

干場:表参道を見渡すと、ペリー来襲のような黒船のブランドばかりです。僕は日本から海外に進出することを考えたブランドづくりがあってもいいんじゃないかと、ずっと考えていた。だからぺッレ モルビダの白船は、その象徴だと思っていました。

笹原:ブランドスタート時は「船旅に持っていく旅行鞄のブランドですよね?」とよく勘違いされました。「そうじゃないんです。これは…」と、取引先に繰り返しコンセプトの説明をしたことが懐かしい (笑)。

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イタリア顔ながら
メイド・イン・ジャパンが強み

石井:個人的にはぺッレ モルビダというネーミングが絶妙だなと感心しています。シンプルすぎるネーミングって、入ってきやすいけれど残らない。ぺッレ モルビダには覚えると口にしたくなるような語感とリズム感があるんです。

笹原:ぺッレ モルビダはイタリア語で「やわらかい肌」という意味です。ブランド名からも「インポートのブランド」と見られるような方向性を打ち出しました。

石井:イタリアのブランド感もありますよね。

干場:僕がイタリア好きだったというのもあるんだけど、当時メンズビジネスバッグの市場では、ゴルゴ13が持つようなガッチガチの四角いブリーフケースが主流だったでしょう?

石井:ピストル入ってるのか?みたいな(笑)。

干場:そういうのではなくて、iPhone のように角が丸くなった、人にやさしい、やわらかいバッグをつくりたかったんです。あの丸みがあることで、スーツだけでなくカジュアルにも行けるという。スーツやジャケットも副資材がなくなって、やわらかくなっていった。そんな時代性ともマッチした気がします。

笹原:そこは干場さんがいちばんこだわったところでした。バッグづくりとしては、角があって硬いほうがつくりやすんですけどね(笑)。わざとラウンドさせて丸みを持たせるつくり方ができるところがなかなかなくて。浅草でレディースの鞄をつくっている、上手い職人さんがいる工場にお願いしました。

石井:時代性に合ったのは偶然かもしれませんが、ブランド名を体現するフォルム、コンセプトもしっかりしていたのが、やはりブレイクにつながったのでしょう。後追いのブランドも出てきましたね。

干場:そうなる過程にはやはりメディアの力がありました。デビューブランドながら、『LEON』に異例の4ページタイアップを出したのも、インパクトがあったと思います。世界観が確立していた『LEON』という船に乗せてもらったことで、ぺッレ モルビダが市場に広がっていきました。『LEON』のモデルがモルビダのバッグを持つと、本当に海外ブランドのバッグみたいに見えた。

石井:お手伝いした感覚は確かにあります。最初から4ページのタイアップを打つようなブランドは、予算的にもまずありませんから。初タイアップの撮影の最後には、記念撮影をしましたよね。当時のモルビダチームの「盛り上げていくぞ!」という意気込みがすごかったのを、鮮明に覚えています。笹原さんも当時は統括部長でしたが、今は常務ですか?

笹原:それで出世しました(笑)。

石井:『LEON』ではいろいろな別注をつくっていただきましたが、それを持ってイタリアのピッティ・ウォモやミラノ・コレクションの取材に行くと、現地のイタリア人に「どこのバッグ?」と聞かれることが多くて。「ぺッレ モルビダのバッグ」というと「イタリアのブランド?あれ?メイド・イン・ジャパンか!」と、ひと通りのリアクションがあって、褒められるんですよ。それがうれしかったですね。

笹原:『LEON』はとても影響力があって、掲載した商品にも反響がありました。なのに納品が遅れて「店頭に並んでいない!」と、大ヒンシュクを買ってしまい、バイヤーさんからもお叱りを受けて…。決して飢餓感をあおったわけではなく、単純に生産が追い付かなかった。今では笑い話です。手前味噌で恐縮ですが、繊研新聞の賞も毎年、何かしらいただくようになりました。

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竹のようにしなりながら
新しい挑戦をしていく

石井:僕もこのプロジェクトに参加する中で、編集長になりましたが(笑)、ブランドが10年続くってすごいことだと思うんです。その勝因は何ですか?

笹原:職人が取り合いになっている中でもそこを確保して、メイド・イン・ジャパンを貫いている点はひとつ大きいと思います。レディースのバッグを始めたり、去年からはゴルフバッグもつくっています。時代をトレースしながら、チームでモルビダらしさを共有して、コンセプトを逸脱しなければ新しいジャンルにもどんどん挑戦しています。

干場:竹のようにまっすぐでありながら、しなるという。

笹原:いい比喩ですね。

干場:これはブルース・リーが言っていたんです(笑)。10年前と今では人々の考え方やファッション、ライフスタイルも変わってきましたが、ぺッレ モルビダはそれをアジャストしてしなるという。いいチームがいて、メイド・イン・ジャパンだからできることだと思うんですよね。『LEON』もしなっているじゃない?

石井:そうですね。芯はまっすぐブレずに、ちゃんとしなっていくことが大事ですよね。経済の状況やデジタル技術の進化、パンデミックが起こったりといろんな風が吹いていますが、これからモルビダがどうなっていくのかも、気になります。

笹原:今までやってきたことは踏襲していきますが、究極のブランドビジネスは何かと考えると、「ビジネスバッグといったらぺッレ モルビダだよね」と想起してもらえるブランドになることです。そのためにはファンを増やしていかないといけない。これからはユーザーに魅力をきちんと伝えるべく、自分たちで売っていくことが重要になってきます。

石井:『LEON』もまさしくファンベースの考え方です。去年立ち上げた「Club LEON」という会員サイトでは、仲間同士を可視化してつながりを深めるようなイベントなどを企画しています。

笹原:ぺッレ モルビダもファン・ミーティングをしたり、コンテンツのクオリティを上げて、ものづくりする側とファンが交流することで、繋がりをつくっていきたい。この10周年記念企画も、ユーザーの皆様への恩返しとしてスタートしました。ぺッレ モルビダファンに所縁のある皆様とコラボすることで、喜んでいただくという。

石井:周年ってそういうことですよね。「ありがとうございました」の意味をこめて、ファンの方に還元する商品づくりをするという。

干場:コロナ禍を経て消費者はクレバーになりました。トレンドに乗らなくてもいいということを学び、「本当にいいもの、長く使えるものが欲しい」という価値観にシフトしてきた。だから僕も第2弾のコラボでは、普遍的なデザインでいい素材と、次の10年を象徴するようなバッグをつくりました。

石井:ロレックスの入荷待ちがどんなに長くても、みんなちゃんと待って買うじゃないですか。あれも「間違いなくて、いいものが欲しい」というマインドの表れですよね。ぺッレ モルビダもそこを目指して。

笹原:そうですね。マーケティングに左右されず、みんなが熱狂するようなものがつくれるように、これからの10年を積み上げて行きます。

YOSHIMASA HOSHIBA

COLLABORATION 
2nd MODEL

オーダメイドのカシミヤのスーツに第2弾のコラボバッグをコーディネートした干場さん。「これから10年後もこのバッグが普遍的なものであって欲しいという気持ちを込めて、自分にとっていちばん普遍的な服を選びました。身体に合った上質な素材のスーツは時代を選ばず、10年後も古く見えません。フランスの老舗タンナー、レミーキャリアット社の最高級レザーを使ったこのブリーフバッグも同様です。ビジネスの場面でも、高い信頼を得られるようなバッグだと思います」

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